時代の流れを感じます-さよならポートピアランド
- 2006/03/19
- 04:23
潰れる、潰れないを繰り返していたポートピアランドが遂に閉園を迎えることになった。私にとっても思い出深いところなので少々物悲しい。ちょっと肌寒い中で見た花火は忘れることはないだろう。閉園は今月の31日。「最後は笑って終わろう」というスタッフの合言葉には涙が浮かんでしまった。アトラクション施設は海外で使用される予定。
[Sankei.web]さよならポートピアランド 来園2000万人の思い包み
神戸ポートピアランド(神戸市中央区)が31日で25年の歴史に幕を下ろす。開園以来延べ2000万人を超えた来園者や、1990年代初めに大ブームとなった「絶叫マシン」の運行を支えた裏方…。多くの人たちの思いを包み込んだ夢の空間だった。
開催中の「25年のあゆみ展」の一角に、来園者が書いた絵馬が並ぶ。「遊園地はドキドキする飛びっ切りの場所でした」「ヨメさんと初めて会った場所でした。そんなわたしも2児の父(16年前の話)」。絵馬は2000枚に迫る勢いだ。
兵庫県姫路市の夫妻は14日、閉園が近いと聞き、足を運んだ。手作り弁当には鶏の空揚げにミートボール、だし巻き卵も。15年前の初デートと同じメニューという。絵馬には「いつ来ても楽しい。幸せです」と書いた。来園は5回目だ。
「新しい海の文化都市創造」がテーマだった神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア81)には約1600万人が来場。パンダや、ゴダイゴのテーマソングも人気を後押しした。博覧会閉会後の81年10月、開園した
最新型の「絶叫マシン」を次々に投入し、ピークの91年度には163万人が来園。「ヤングアダルト」と言われた10―20歳代の人気スポットになった。
転機は突然訪れた。95年の阪神大震災。3カ月の休園後、来園者は激減し、晴れた休日でも園内が閑散とする時期が続いた。98年の回転式ジェットコースター追突事故も追い打ちをかけた。
「今思い出しても身の毛がよだつ。二度と事故は起こさない、と全員が誓いを新たにした」。当時、コースターの運行管理者だった松本悟(まつもと・さとる)マネジャー(59)は振り返る。
25年間回り続け、延べ1000万人以上を乗せた観覧車「ジャイアントホイール」。震災の仮設住宅も見下ろした。整備担当の中山公一(なかやま・こういち)さん(31)は「おじいさん観覧車。たまに機嫌を損ねてギシギシ言うけど、よく頑張ってきた」と、塗装がはげた操作盤をなでた。
8つのアトラクション施設は閉園後、海外に移され、再び活躍する。
閉園は31日午後5時半。スタッフ75人の合言葉は「最後は笑って終わろう」だ。